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人は死んでも終わりではない1

2014年07月7日  

カープ、やはり雨天中止でしたね。
当方は、部屋の片づけのあとはフィッタにランニングに行きました。
まだお試し期間中です。
雨でも走れる、というのは うれしいことです。
膝回り、腰を支える筋肉を鍛えております。
なかなか、いいですよ。

今も雨ですが、
今週は台風の予測です。
かなり大型のようです。
台風の進路情報に注意し、
乾電池や水・食糧の備蓄を確認しておきましょう。
雷も鳴っていますので、
このブログをアップしたらパソコンは落とします。


さて、
癌の現状についての論文を御紹介すると
いろいろと反論コメントがかえってくることがあります。
希望を打ち消すようなことをするな、と。
当方は
現状を正しく認識して
その上で自分らしい生き方を選択してほしい、
と願っているにすぎません。
現状を正しく認識した上で
それでも癌と戦い続けたい人は戦えばよいし、
戦うことよりも、他の選択をする人もいていいのです。
ただし、戦うといっても
ありえないことを願い、信じ込み、
その結果 持ち金を全てなくし、
親兄弟・親友との交流を全て失う、
そういう人になってほしくない、と思っているだけです。

どうしてそういうコメントになるのか
いまだに考え続けているのですが、
もしかしたら
「死んだら終わり」と
その人は強く思い込んでいるのかも、と思うこともあります。
(それが全て、とは思っていません)

人は二度死ぬ
という言葉があります。
今日はそのことについて 考えてみましょう。

人は死にます。
早かれ遅かれ、必ず死にます。
ですから
生きている今を、せいいっぱい生きるのです。
で、
「死んだら終わり」 かというと
そうではありません。

現実的な、即物的なレベルの話をしますと
死んだら死亡確認・死亡診断書・死亡届が必要ですし
火葬なども必要です。
通夜・葬儀がおこなわれる場合もあるでしょうし、
相続の話も始まるでしょう。
3回忌とか7回忌とか、いろいろな行事がおこなわれる場合もあるでしょう。
あなた以外の人にとって
あなたの死は終わりではないわけです。
コトによっては、あなたの死は、始まりの合図です。

人は二度死ぬ、とは
そういう現実的な、ロマンのかけらもない話ではありませんで。

人は、
自分ひとりでこの世に生まれ出でたわけではありませんし、
自分ひとりで育ち、
自分ひとりで生きてきたわけではないのです。
必ず、あなたに関わってくれた人たちがいます。
生きる、ということは
他者との関係を作り、維持し交流していく、という営みでもあるのです。

ですから
あなたが死んでも、
関わった人たちは生きています。
あなたに影響を受け、あなたのことを思いだす人はいるのです。
誰かの心の中で、あなたは生き続けています。

年月がたち、
あなたのことを思い出す人が一人もいなくなった時に
(社会のなかで) あなたは死んだ、と言える。
これが「二度目の死」です。


二度目の死を考えてみた時、
自分の生き方を考えるヒントになるように思います。

自分がこの世に生きたあかし、
それが後世まで残れば理想なんですけれども、
全員が偉人伝に残る活動ができるわけではありませんね。
日々、小さい善行を積み重ねていれば
30年間くらいは「あの人はいい人だった」と言われるでしょう。
もっともっと世の中の役に立つ活動ができれば
100年でも、1000年でも、記憶と記録に残る人になれるかもしれません。
逆に
「生きている間が全て、死んだら終わり」、
と言って勝手きままに人生を送っていたならば
「あの人は自分勝手な人だった」と30年間くらいは言い続けられることになる。
大きな悪行をおかしたならば「悪い記憶と記録」が何百年も残ることになります。
そんなのは嫌ですね、
どう考えても、死んだら終わり ではないですよね。



で、
癌の話に戻りますと。
癌の治療が効果を失ってきた時、
「現代医学ではここらが限界です」と宣告されることがあります。
人生の残りの時間がおおまかに伝えられる場合もあります。
当方は、残った時間と残ったお金は
家族といっしょに旅行したり食事したり、
「いい思い出づくり」をされてはいかがですか?
という思いを持っています。
御家族にいい思い出といい記録を残されてはいかがですか、と。
癌治療の終了を宣告されて、
頭が混乱してどうしていいのかわからない、という方には
そういうお話をさせていただくこともあります。
でも、中には
自分だけは助かりたい、自分だけは奇跡をおこしてみせる、と
財産を全部、 
○○の水、××のツボ、△△療法
といったものに費やしてしまったという人も経験しています。
家も土地も貯金も全部失い、
親兄弟からは見捨てられる、
そういう人を経験しているのです。
死んだら終わり、自分の金だから自分の自由に使っていいか、
というと  
まあそうです、ということになるのかもしれませんが
でも
このお金の使い方では 死んだ後で
「あいつは話にならん奴だった」と言われるだけです。
悪徳業者を喜ばせ「いいカモだった」と言われるだけです。
墓の中まで金は持っていけない、
どうしても生きているうちに金を使いたい、
ということであるならば
こどもの療育施設・団体に寄付をしたり、
地域の小学校や中学校に寄付をしたり、
近隣の公民館や図書館に本や購入費などを寄付したり、
被災者支援に寄付をしたり。
自分ひとりのためでなく、困っている人のためにお金を使う、
というのが良いのではないかと思うのです。
あの人は、最後に善い行いをされた、と
関係する人たちは心に思い出を刻むことでしょう。


人は二度死ぬ。
ならば
どういう生き方をしたいのか。
どういうお金の使い方をすべきなのか。
考えてみたいですね。



小腹がすいたら こんにゃく
わらびもち風ですが、よく出来ています。

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