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心に残る出会い26 前立腺癌のMさん

2011年10月30日  

Mさんは54歳。
尿の出が悪くなり、前立腺癌と診断されました。
東京の大学で抗がん剤、放射線を受け、
その後も引き続き抗がん剤治療に東京へ通っていました。
骨転移が出現し動けなくなり、
その後は地元の病院で放射線治療、抗がん剤治療となりました。
しかし、あまり効果はみられず直腸などにも浸潤し、
人工肛門、腎瘻となっていました。
(腎瘻とは、腎臓から尿の管を体外に出す治療法のことです)。

一時はDIC、意識障害など危険な状況となりましたが
何とか脱出できたので
「今なら自宅に帰れる」、ということで
当院に在宅診療の依頼です。
退院時カンファレンスのあと退院となりました。
まだ若いので週1回病院での抗がん剤治療も続きます。

家族みんなでMさんを支えます。
一番下のお子さんが、人工肛門の処置が家族で一番上手。
お姉ちゃんは腎瘻バッグの交換が担当です。
非常に高用量のオピオイドを使用しており食欲もなかったので
少しでも食がすすむように、と奥さんは知恵を絞り、
家族全員で食卓を囲みます。

退院してすぐは、
Mさんが少しでも体を動かすと
家族全員ビクッと反応していたのですが、
次第に病状が落ち着き食欲も少しずつ出てきたので
家族におだやかな時間が流れるようになりました。

当方は、Mさんの吐き気や眠気などの状況をみながら
オピオイドなどの薬の量や使用方法・使用時間の調整などを
おこないました。
非常に繊細な作業です。
当方(緩和ケア医と緩和ケア薬剤師)と
訪問看護師、病院の主治医や地域連携室の間で、
頻繁に情報交換がおこなわれていたのでした。
これだけ頻繁に電話やFAXが行き交った患者さんは
Mさんがはじめてでした。
御家族だけではなく私たちも、
みんなでMさんを支えている、という実感がありました。

最期は緩和ケア病棟へ、という御希望で
K病院の緩和ケア病棟への申込もおこなわれていました。
家で看ることが出来るのか、と御家族も不安だったのでしょう。
しかし、自宅ですごしてみると、やっぱり自宅がいい。
申し込んでいた緩和ケア病棟の順番がきましたが、
Mさんも御家族もこのまま自宅で生活することを選択されました。
夜中でも休日でも緩和ケア医や訪問看護師が来てくれるし、
いざとなればいつでも病院に受診したり入院もできる、
ということがわかって安心感もあったのでしょう。
結局さいごまで緩和ケア病棟にはいることはありませんでした。

実家のお墓参りをしたい、という希望もかなえることができました。
そのあと再度のDICをおこし入院治療を受けたのですが、
その3日後にMさんは亡くなられました。

葬儀などであわただしい日がすぎ、
クリニックにごあいさつと医療費精算に来られました。
自宅で家族みんなでがんばったので、
達成感というか、「がんばったぞ感」があり
とてもよかった、とお話されていました。
在宅医療には、そういう良い面もあるのですね。

白神社のまつりで購入した いが餅と
江田島産のたこ天。
たこ天は、神楽を見ながら1パック食べ、
帰りにもう1パック買ってしまいました。
それほどおいしかったのですよ。
P1010580.JPG
★インフルエンザ情報
安佐南区の幼稚園で学級閉鎖10/27~11/2が出ています
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1240722519969/index.html

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