震災報道と孤独死
午前2時半に在宅での看取りがありました。
癌と難病で病院に入院されていたのですが
入院を続けていても意味がない、家に帰りたい、家で死にたい、
と意思表示され、退院して自宅に帰られていた方です。
呼吸状態に乱れが出ていたので
お姉さん二人が泊まり込まれていましたが、
ちょっとウトウトされている間に
気づいたら呼吸が止まっていました。
本人は最後は苦しむようなことはなく、静かな最期でした。
さて、
震災報道では、
仮設住宅などでの「孤独死」がテーマに取り上げられて
報道されることも多いです。
しかし、孤独死、については
明確な定義があるわけではありません。
Wikipediaなど御参照ください。
仮設住宅などで、周囲との関係を築けず、
死亡しても長い間誰にも気づかれなかったような状況は
「孤立死」と呼ばれています。
一人で死ぬことは、悪いことでしょうか?
「在宅で誰にも看取られない」、ということを問題視して
論を展開される方が時々おられます。
でも、
病院に入院していても、老人施設に入所していても
看護師・職員の定時の巡回時に
死亡している状況で発見されることは珍しくありません。
気づいたら死亡していた。
入院・入所していても、誰にも気づかれず一人で死ぬことはあり、
そしてそれは悪いこととは言えないですね。
今回の事例のように
兄弟が一つ部屋で寝泊まりしていても
気づいたら呼吸が止まっていた、というケース。
これも 最期は一人で死んでいったわけですね。
でも悪いどころか、理想の、幸せな死に方と言えるかもしれません。
つまり、
死亡の瞬間をだれにも気づかれないで一人で死ぬことは、悪いこととは言えない。
孤独死は悪いといえるかどうかは、言葉の定義による可能性があります。
孤立死はよくない、とは意見が一致するでしょう。
死亡に至る前の段階で
社会との接点が築けているかどうか、が
実は重要なポイントになっています。
そこで
上野千鶴子先生は「在宅ひとり死」という言葉を提唱されています。
簡単なまとめが出ているサイトがありましたので
お時間のある時にぜひどうぞ。
幸せな「在宅ひとり死」を迎えるために
http://www.conet.or.jp/number/2013_09/feature1/
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