同じお題で書きましょう「劣等感」
緩和ケア薬剤師です。
22歳から25年間、調剤薬局で 保険調剤に従事していました。
処方箋を見てその通りの薬をつくり、指示通りの飲み方を伝えます。
「劣等感」の出る幕はありません。
50歳の時に夫と診療所を開設しました。
(先代は私の実家の父です)
そこからは珍しい薬剤師の仕事をしています。
(厚生労働省のとる統計に項目がない仕事です)
診察室や訪問診療先で 医師の処方意図を理解し 処方設計に関与すること。
在宅療養されている方やご家族と 飲みやすさや薬の効果・副作用の相談
さらには飲み残しがある事実を含めて 処方医へフィードバックする。
「劣等感」の出る幕はありません。
広島市の社会実験で公募があり
「広島市科学技術市民カウンセラー」に採用されて5年半大活躍しましたよ。
日本科学未来館で科学コミュニケーターの研修・実習を1週間東京に泊まり込みでやり通しました。
「サイエンスアゴラ」にも初回からポスターセッション出展やミニ講演。
そこで仕入れた京都大学や国立科学博物館の方々の情報から「サイエンスカフェひろしま」をやりましょう!
とメンバーを牽引。
日本宇宙少年団広島分団(緩和ケア医が分団長です)主催の講演会にいらしてくださる教授の皆様を次々に
「サイエンスカフェひろしまの話題提供者」に推薦、
「劣等感」の出る幕はありません。
でも実は幼稚園・小学校・中学校・高等学校では 劣等感のかたまりでした。
他の子は朝、お母さんに「いってらっしゃい」と言ってもらえて
なおかつ「おかえりなさい」と言ってもらえていたのですよ。
勉強ができないほうだった 運動が苦手だったのは私のせいですけど。
その頃の開業医は朝から深夜まで 月曜から土曜も日曜も祝日も外来があって
患者さんが待合室にたくさんおられたり 往診したり電話がかかってきたり。
私が小学校に出る時間帯は準備で忙しく
住み込みの看護婦さん達も忙しくしていたし、で
誰もいない自宅を一人で出ていました。
多くの方にとってはあたりまえの
おかあさんの「いってらっしゃい」
今でも同級生には内緒の劣等感です。
なるほどね~ 劣等感と云うよりも
淋しさ、欲求不満ですかね。
⑦パパさま
出題ありがとうございました。
小学校の時に
「テストの点が悪かったらお母さんにしぼられる」
と聞いたときに初めて気づきましたから。
私みたいな子はクラスで一人・・・
たしかに悲しかったですね・・・