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生きているか死んでいるか

2012年04月5日  
カープ、勝ってよかった!
福井は球も速いし変化球のキレもいい。
走者を背負いすぎるのが課題ですが
勝たせてやりたい試合でした。
最後にサヨナラ勝ちでしたが、
もっと早い段階で点を入れていれば楽に勝てる試合でした。
それにしても登板したすべての投手が上々の出来、すばらしい。

打者では、犠牲フライも打てない外人は いりませんね。
私たちは、広いマツダスタジアムを選択したのです。
すなわち
ホームランが飛び交う試合を見るのではなく
手に汗握る3塁打が出る試合を見るのだ、
という球場を作ったのです。
ですから、少なくともマツダスタジアムでは
俊足・好守・強肩の選手を起用すべきであって
鈍足外人選手は いらないのです。

狭い神宮球場や東京ドームではニックを使ってもいいかもしれませんが
マツダスタジアムの試合にはニックは不要。
8回無死2塁から1死3塁となった場面で
ニック以外の誰がスタメンであっても
ここで得点できたのではないかと思います。

さて、
とんでもない医師がいるものだ、と
がくぜんとした記事です。

医師宅にミイラ化遺体、娘「生きている」と点滴
(2012年4月3日07時19分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120402-OYT1T01067.htm

死亡診断書を書けるのは、医師だけです。
看護師や救急隊員などが
「もうこれはダメだ、死んでいる」とわかっても
医師でなければ死亡宣告(死亡診断)をすることはできません。

つまり
生きているか死んでいるか、
という判断は
医師の基本的職務内容というべきもので、
医師個人個人で全く違うものであっては困ります。
死亡と判断する時刻にちょっとの差はあってもいいが、
大きく離れた結果となる医師はいないはず。
(注:人工呼吸器をつけられている脳死状態の人について
どの時点で死亡と判断するか、は 議論のあるところ。
でも、その状態でも、心臓が止まれば
どの医師であっても死亡と判断しますけどね。)

生死の判断が独自であり
他の多くの医師の判断と食い違いがあるならば
医師としての資格を与えることは大いに疑問といえます。

医師も人間ですので
精神を病んだり
脳卒中や認知症になったりして
正常な判断が下せなくなる人も出てきます。
その場合には、医師の資格をはく奪することも考えていかないといけません。

今回の事件は、そういう事例なのだと
記事を読んで思いました。
高齢化社会ですから
認知症をわずらった医師というのも
今後はどんどん増えてくるでしょうね。

博多の磯ぎよし
どこへ行っても冷奴は注文します。
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