生きているか死んでいるか
福井は球も速いし変化球のキレもいい。
走者を背負いすぎるのが課題ですが
勝たせてやりたい試合でした。
最後にサヨナラ勝ちでしたが、
もっと早い段階で点を入れていれば楽に勝てる試合でした。
それにしても登板したすべての投手が上々の出来、すばらしい。
打者では、犠牲フライも打てない外人は いりませんね。
私たちは、広いマツダスタジアムを選択したのです。
すなわち
ホームランが飛び交う試合を見るのではなく
手に汗握る3塁打が出る試合を見るのだ、
という球場を作ったのです。
ですから、少なくともマツダスタジアムでは
俊足・好守・強肩の選手を起用すべきであって
鈍足外人選手は いらないのです。
狭い神宮球場や東京ドームではニックを使ってもいいかもしれませんが
マツダスタジアムの試合にはニックは不要。
8回無死2塁から1死3塁となった場面で
ニック以外の誰がスタメンであっても
ここで得点できたのではないかと思います。
さて、
とんでもない医師がいるものだ、と
がくぜんとした記事です。
医師宅にミイラ化遺体、娘「生きている」と点滴
(2012年4月3日07時19分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120402-OYT1T01067.htm
死亡診断書を書けるのは、医師だけです。
看護師や救急隊員などが
「もうこれはダメだ、死んでいる」とわかっても
医師でなければ死亡宣告(死亡診断)をすることはできません。
つまり
生きているか死んでいるか、
という判断は
医師の基本的職務内容というべきもので、
医師個人個人で全く違うものであっては困ります。
死亡と判断する時刻にちょっとの差はあってもいいが、
大きく離れた結果となる医師はいないはず。
(注:人工呼吸器をつけられている脳死状態の人について
どの時点で死亡と判断するか、は 議論のあるところ。
でも、その状態でも、心臓が止まれば
どの医師であっても死亡と判断しますけどね。)
生死の判断が独自であり
他の多くの医師の判断と食い違いがあるならば
医師としての資格を与えることは大いに疑問といえます。
医師も人間ですので
精神を病んだり
脳卒中や認知症になったりして
正常な判断が下せなくなる人も出てきます。
その場合には、医師の資格をはく奪することも考えていかないといけません。
今回の事件は、そういう事例なのだと
記事を読んで思いました。
高齢化社会ですから
認知症をわずらった医師というのも
今後はどんどん増えてくるでしょうね。
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