舟入病院の起源と役割
土曜日の午後は
広島市立 舟入市民病院の開設120周年記念式典・祝賀会に出席してきました。
私も舟入病院に勤務していたことがありますもので。
記念講演が2つあり、
ひとつは
「舟入市民病院の起源を求めて」
講師:元広島国際大学教授 千田武志 先生
これを聞きたかったのです。
広島は、記録が消失しているものが多く
歴史をたどるのは非常に困難なことが多いのだそうです。
舟入病院は原爆で全焼。
歴代の院長など、今となってはわからない部分もあるのだそうです。
そういうわけで
これまで 病院誌 というものも発行されてこなかった。
ふつうは少なくとも病院100年記念誌など出ているはずです。
ざっくりまとめると、
明治初期には、感染症で命を落とす人が多かった。
明治12年、19年のコレラ大流行では、全国で10万人規模の死亡者が出ています。
コレラの死亡率は50%を超えています。
江波や比治山に 避病院という、伝染病病院があった。
で
日清戦争があり、広島は重要な位置づけとなります。
広島に大本営がおかれ、明治天皇が来られ、議会も開かれています。
明治28年に戦争が終わり、軍人も、民間人(軍庸人)も広島に帰還してくる。
似島に世界最先端の検疫所を作ったりしますが
コレラなどが発生・流行することになります。
そこで船入村に新しく病院を作る(江波から移転)ことになった。
それが1895年であり、今年が開設120周年である、ということです。
もう一つの講演は
広島大学 小児科学教授 小林正夫 先生。
広島の小児医療についての舟入病院の役割と功績につき話されました。
広島の小児救急医療の次のステップについては
基幹病院(大学、市民病院、県病院)に附属する小児医療センター
という形(全科がバックアップする)での
小児救急でないと今後は難しいのではないか、と提案されました。
広島の小児医療・小児救急医療をどうするか、
これはまだまだ考えていかねばならない問題です。
お祝いの記念品。アンデルセンの紅白サンライズ
アンデルセンは、こんなものも作っているんですね。
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