阪神大震災との違い
私は阪神淡路大震災のとき、医療支援チームとして現地に行っています。
その時と今回との大きな違いは
範囲が広いこと
津波で家屋が失われていること
だと思います。
神戸震災は直下型でした。
もちろん家屋が倒壊したり火災で焼失したものも多かったですが
でも無事だった家屋・ビルもたくさんありました。
私が派遣されたのは第三次医療支援チームで
被災から3週間目にはいったところでした。
その頃には、数駅ぶん歩けば電車は大阪に通じており、
大阪などは普段通りの日常生活でした。
毎朝、避難所から大阪に出勤している人もいました。
避難所には、電気水道さえ通じれば自宅に帰るという人もたくさんいました。
そうして、避難所の人数も減り始めていたのです。
地域の病院、診療所も機能を回復しはじめており
我々は避難所内の健康管理だけに専念することになりました。
もう3週目には支援体制の撤収を考える時期がきはじめていたのです。
同じ場所で、街の再建、生活の再建を考えることが可能な震災でした。
しかし、
今回は津波で街が破壊されました。
仮に電気が回復しても、帰る家がないのです。
万里の長城 と言われたくらいの防潮堤でもダメでした。
街を、どこに再建するのか、決めないといけません。
防潮堤を倍の高さにして、もとの場所に住むのか。
それとも
津波の届かなかった高台に住むのか。
昭和初期の津波被害のときに、
漁業者は、海に近い場所に住みたいといって
防潮堤を作ることになったのだそうです。
でも
今の産業構造として、漁業に明るい未来はあるのか。
漁船を失った漁業者たちは、借金をして漁船を新造し
また海に出たいと思っているのか、
漁業を息子に継がせたいと思っているのか。
非常に酷な表現ですが、大金をかけてその地区の漁業を復活させる意義はあるのか、
という状況なのだと思います。
漁業を復活させないのであれば
高台に新しく街をつくればよいし、
極端な話、どこか離れた他の地域に移住しても同じかもしれない。
いずれにしても時間がかかります。
避難所生活が終わるメドが立たないのです。
特に小さい子連れや、高齢者にとって 今の避難所生活はよくない。
ライフラインの整った地域にまず疎開して一息ついて
それから再建方法を考えていけばいいのだろうと思います。
阪神大震災と今回の震災はまったく別だ、ということを
昨夜のNHK特番を見て あらためてそう思いました。
そして
いつか来るであろう東海・東南海大地震は
今回のタイプの震災になるのであろう、その時には・・・う~ん・・・。
これまで私の頭の中にあった東海・東南海地震のシミュレーションとは
まったく違う光景が頭に描きだされました・・・。
とりあえず広島地区も疎開を早急に引き受けてあげなければいけない
支援物資をちまちま送っている場合ではない、と思いました。
RCCラジオ 番組おすすめ全国グルメフェスティバル
本名さんおすすめの
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福屋 広島駅前店で開催中。
山形県からの出展予定者は震災のため来られなかったそうです。
http://www.fukuya-dept.co.jp/etc/eki_rccgourmet7kai.html
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