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中世日本の傑作 益田

2023年06月28日  

カープ、
横浜に勝利、よかったですね。
できれば床田投手に勝ちをつけたかったところですが、
秋山選手がいい場面で活躍した、ということで。
今日は森下投手です、応援しましょう!

 

さて、益田市です。
なぜ雪舟は 益田市に滞在し、最期も益田で迎えたのか。
4大 雪舟庭園の2つが なぜ益田市にあるのか。
答えは簡単で、要するに、益田市は 当時かなり「栄えた街」だったわけです。
画僧 雪舟をかかえ、 腕をふるわせるだけの 財力があった町なのです。

日本遺産のまち益田市
中世日本の傑作益田を味わう
益田市観光協会
https://masudashi.com/japan-heritage/
現在の益田にはその歴史を物語る、 港、城、館の遺跡と景観、寺院や神社、 町並み、庭園、絵画、仏像などの 一級品がまとまって残っています。 時代と地域の特性を活かして輝いた益田は、中世日本の傑作と言え、 全国でも希有な 中世日本を味わうことのできるまちです。
***

日本遺産とは
[主旨と目的]
日本遺産とは、「地域の歴史的魅力や特色を通じた我が国の文化・伝統を語るストーリー」を文化庁が認定するもので、 ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取り組みに対して支援が行われます。
日本遺産ポータルサイト
中世日本の傑作 益田を味わう
-地方の時代に輝き再び-
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story100/

 

なぜ町が中世のまま保存されたか、というと。
私のまとめでは。
日本海に面し、朝鮮・中国との交易で栄えた商業のまちで、富が蓄えられていた。
領主 益田氏の手腕で、益田は戦国時代なども 戦火におそわれることはなかった。
江戸時代、山城はあるが平城は作られず、「城下町」には ならなかった。
(関ケ原合戦ののち 益田氏は 萩藩(=長州藩=毛利)の家老となり 益田ではなく須佐に移動し居住)
第二次長州戦争では「石州口の戦い」の舞台となるが、
長州藩側としては 家老のもともとの出身地でもあり 過激な戦法はとらなかった。(幕府軍は弱かった)
こうして 古い街並み・街割りが そのまま残ることとなった。
というものです。

緩和ケア薬剤師は 古い建物に。
私は 古い街なみ・昔の生活に 興味があります。
ふたり合わせると ブラタモリ的です。

あちこちに のぼり や ポスターも 貼ってあります。

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“中世日本の傑作 益田” への2件のフィードバック

  1. ⑦パパ より:

    人麿の死を哀悼した挽歌や、昔益田沖に存在した島「鴨山」での辞世句があったことから
    人麿終焉地として有力候補の一つともいわれていますよね。柿本人麻呂神社がありますし

    • origuchi より:

      7パパさま
      コメントありがとうございます。

      万葉集あたりの話になると、私らの苦手・ダメな部分になってしまいます・・・(泣。
      万葉集好きな方には 益田はものすごい魅力がありそうですね。

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