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伊達直人現象

2011年01月13日  

児童養護施設などにランドセルが伊達直人という名前で贈られる
ということが報道されてから、
模倣続出で社会現象になっています。
NHKも民放も新聞も、みんな報道するものだから
今後もしばらくは模倣が続出すると思います。

恵まれない人たちに支援の手を、
ということであれば、
まあ「いいこと、善行」なので、歓迎してもいいのでしょうが
私は少~し違和感があります。
ま、そんな活動でもないよりはいいか、という程度。

恵まれない人たち、困っている人たちに支援を
という運動は、もうずっと前からありますよね。
毎年恒例の歳末助け合い運動をその代表として
他にも地震などの被災者支援・復興支援もありますし
24時間チャリティテレビ番組なんていうのもあります。

では、なぜ全国の「伊達直人」は
すでに存在する助け合い運動に寄付するのではなく
自分で施設に寄付をしているのだろうか?

一つには、寄付している人がアニメ世代になってきたということ。
おそらく伊達直人現象の多くは60歳代の人たちだろうと思われるのですが、
タイガーマスクを見た世代になってきたのですね。
従来型の寄付、助け合い運動は、
アニメ世代に向けてリニューアルを迫られているということなのでしょう。

二つには、
既存の運動では寄付した自分のお金がどう使われているのか、実感がない、ということ。
自分で寄付すれば、お金・品物の行き先、使われ方は確実に目に見え
納得ができるのですね。
伊達直人現象によって、全国規模の募金・助け合い運動の影の部分を
見事に浮き彫りにしていると思います。

やはり社会というものは
助け合いの精神が根底にないと いい社会にならないと思います。
ボランティアや寄付が、もっと広まるべきでしょう。
しかも
地域で、コミュニティでの助け合いが広まることが必要だと思います。
全国規模ではなく。
自分の力が、確かに世の中の役に立っている、
地域の役に立っている、という
「自分の存在意義」が明らかに、疑いようもなく実感できることが必要なんですね。

世の中に、ほんの少しの援助を必要としている人はたくさんいます。
それは養護施設の子どもだけではありません。
たとえば一人暮らしで孤立している高齢者で
話相手もおらず、自分が生きている意義も感じられない状況になっている人も
たくさんいます。
でも、
私たちの患者さんの中に、
毎日朝晩のバス停の掃除というボランティアをはじめることで
すっかり元気を取り戻した人がいます。
毎日生き生きとされています。
ちょっとくらいの体の不調は、吹っ飛んでしまったのです。
自分が世の中に役に立てる、役に立っている、ということを実感できることが
生きていく上で何より大切なことだ、とわかります。

お金を寄付することだけがボランティア活動ではありません。
一人暮らしの高齢者といっしょにお茶を飲み世間話をする
というだけで、十分なこともあります。
高齢者といっしょに地域の清掃活動をする、ということでも十分です。
地域の中に、いくらでもボランティアのネタはあるのです。
一人一人が 世の中とつながっていることを実感できる方法、
世の中の役に立っていることを実感できる方法を
考えていけばよい、ということなのです。
それは高齢者でも子どもでも、同じこと。

長くなりましたので、続きは明日に。

緑茶のコンフィチュール
三越 大九州展で買いました。
フランス語で、ジャムのことです。甘くておいしい。
(製造方法に少し違いがあるのかどうかは知りません)。
緑茶のほかにも、マンゴーなどもあります。
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