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生きかた 死にかた

2015年01月5日  

昨日は往診のあと初詣。
そのあとフィッタに行って初ランニングでした。
正月でなまった体を動かして一汗かこう、というわけですが
同じことを考える人が多いのでしょう、
更衣ロッカーが全部埋まってしまうほど多くの人が来場していました。
筋トレマシンの負荷は通常の半分から2/3程度と軽めにして、
ランもゆっくりペースで5km。
初ランとしては こんなものでしょう。
体重を元に戻して、運動負荷も徐々に上げていかねば、ね。

さて
正月休みに読んだ本のつづきです。

生きかた 死にかた
~僧侶ドクターの人生カルテ~
著:友久久雄
本願寺出版社

友久先生は「こどもの精神科」の医師です。
患者を診るだけではなく、教育の分野でも活躍されてきました。
また、浄土真宗本願寺派で得度された僧侶でもあります。

「障がい受容とは」
という項があります。
一部を引用させていただきます。

障がいのある子どものお母さんは、「どうしてこの子はこんな障がいがあるのだろう」と苦しまれます。何とか治したいと駆け回る。ところが、治らない病気であることがわかると、絶望して一緒に死のうとまで考えられることもあります。
お母さんの苦悩を解決するには「障がい受容」といって、障がいとともに歩んでいくという気持ちになることしかありません。
(中略)
障がいを直接、治すことではありませんが、事実を事実としてあるがままに見つめ、受け入れる「障がい受容」が唯一、障がいに打ち勝つ方法だと私は思っています。
***引用終わり

上記の文章でも十分に説得力があるのですが
ここで
「障がい」 の部分を 「末期癌」・「進行癌」と
置き換えて読んでみていただければ、と思います。
「治せない病気、治せない癌」、ということです。
この子、とか お母さん というのは 「自分・私」に置き換えてください。

どうして私がこんな癌になってしまったのだろう。
というように 読み替えてみて欲しいのです。
いかがでしょうか?

治せない癌、とわかると
万病に効く〇〇水、とか
××ワクチンとか(実態はとてもワクチンと呼べる代物でない)
に すがってしまう方は今でもたくさんおられます。

よくそんな古い治療法(△△ワクチンなど)を
探し出してきましたね、と
こちらが驚いてしまうほど
古く、すたれてしまった治療法を希望される方もおられるのです。
(今はネット時代ですから、調べれば調べるほど
深く掘り下げれば深いほど
インチキ治療法がたくさんヒットすることになります。)

そうしたニセ科学・ニセ医学に望みをかけて
結局ダメ、とわかったときに
その方はどうなるのでしょう?
すでに財産は使い果たし、家族・友人からも見放されています。
どうして私が・・・、と
神や仏を呪い、
医学・医療や医師を呪い、
自分は不幸だ、と世を呪い続けながら この世を去るのでしょうか。

癌とわかっても
社会に貢献できる時間も お金もまだあります。
ところが
ニセ科学・ニセ医学にはまってしまったのでは
その時間もお金も 失ってしまいます。
世の中には何の役にも立たないことになります。
いや、役に立たないどころか
ニセ科学の人を儲けさせ大きくさせ、次の被害者を増やすだけのことになるのです。

残念ながら現在の医学では治せない癌です、と
事実を告げられたならば
事実を事実としてあるがままに見つめ、受け入れる「受容」が唯一、打ち勝つ方法ではないでしょうか。

受容が出来るかどうか。
そこに宗教の果たす役割は大きいように思います。

表紙裏から引用です。
***
共に死ぬ身であるからこそ――
元気なときに「死」について考えることの大切さを
つくづく感じます。
死んだらそれっきりと思っている人と、
安心して帰るところがある人とでは、
生きかた、死にかたに大きな違いがあるのは当然でしょう。
***引用終わり

 

浄土真宗は、深いなあ、ありがたいなあ、と思っています。

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