同じお題で書きましょう「日本酒」
巨人は 引き分けでした。
この時点におよんで 負けよりは引き分けのほうが かなり大きい。
明日は横浜にがんばってもらいましょう。
緩和ケア薬剤師です。
実家の父、先代折口医院院長ですが。
晩酌から寝酒までずっと日本酒でした。
それも賀茂鶴の並等酒、いわゆる二級酒です。
燗をつけてもらっては飲んでいました。
親戚や出入り業者を呼んで
麻雀やったりするときも
若い人たちはビール、
自分は並等酒。
今でこそ日本酒は吟醸酒だとか大吟醸だとかいいますが。
50年以上前はそんなものでした。
緩和ケア医です。
日本酒、とくに 活性にごり酒が好きです、何度もブログに書いているとおりです。
で
日本酒に目覚めたきっかけは うまい日本酒と 1冊の本です。
東京大学教養部の時は、なかば共同生活のような状態でして。
パチンコや競馬で勝った者が おいしい酒を買ってきて みんなで飲む。
日本酒はマズイ、ということではなく、おいしい日本酒がある、ということが わかりました。
今となっては 40年以上前ですので その時の銘柄など全部は思い出せませんが、
剣菱など 近所のお店で買ったり、いろいろな酒を渋谷で買ったようには思います。
なにしろ貧乏学生には 「特級酒なんて夢」、という時代でした。
宴会の2杯目からは 味はどうでもよくて酔えればいいので、ニッカ黒の50 が我々の定番でした。
医学部にすすんでからですが、驚きの本が出ました。
この本の番付に紹介されている酒は、とにかくうまかったのです。目からウロコ。
ほんものの日本酒選び (1977年) (三一新書) 1977/11/1 稲垣 真美 著
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%BB%E3%82%93%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92%E9%81%B8%E3%81%B3-%E4%B8%89%E4%B8%80%E6%96%B0%E6%9B%B8-866-%E7%A8%B2%E5%9E%A3-%E7%9C%9F%E7%BE%8E/dp/4380770087
各地の大学に「全国学生日本酒研究会」という全国組織が出来た、という話を聞きつけ
私どもの大学にも 「日本酒研究会」を私が設立して その全国組織に加えていただきました。
大学祭では この本の日本酒番付そのものを大学祭パンフレットに転載引用させてもらったり(出版社から許諾をいただきました)、
その番付のなかで入手可能な酒を 大学祭で販売したり。
もちろん売り上げの利益は さらなる酒となって 打ち上げ時に我々の腹におさまったわけです。
いまでもこの本の番付に出てくる上位の酒蔵には そうハズレはないと思います。
40年たっても、この本の番付に出てくる酒蔵には 尊敬の念を持ち続けておりますよ。
三つ子の魂百まで・・・。
7パパさま、いいお題をありがとうございます。
「ほんものの日本酒選び」 は相当に古い本ですが、入手可能なら 一読をおすすめできる本です。
この番付と 今どきの酒を比べてみるのも 面白いですね!
日本酒業界の大きな流れを感じられます。
吟醸酒がこんなに市民権を得て広まるとは 当時は思ってもみませんでした。
とはいえ、吟醸酒、大吟醸酒がベストとは 私は思ってはおりません。
活性にごり酒がなぜ好きなのか、という話題は この関連なんですが、それはまたいつか。
今回はお二人での参加、読み通りでしたw
賀茂鶴並等級ですか?うちは2軒隣に酒屋があったのですが、ほぼ毎晩
福美人の量り売りを買いに行かされていました。懐かしいな~その店は
ゴムでお金を入れる笊が天井からぶら下がっていましたw
なんなんでしょうね?僕らもぜいたく品は「黒松剣菱」の一升瓶でした。
でも貧乏学生なので、その瓶のあとは「相模誉」と云う、剣菱の半分以
下の値段の安酒でしたw
7パパさま
昔は ぜいたくな酒は剣菱でしたねえ。 剣菱は もう何十年も飲んでいないです・・・。