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「息を引き取る瞬間」に立ち会う必要はない

2017年08月15日  

世間は「お盆休み」ですが
多くの病院は通常どおり診療しております。
何かあればクリニックではなく病院に受診、あるいは問い合わせをお願いします。

昨日は帰省した孫たちといっしょに平田観光農園へ。
リニューアルされており、おしゃれな感じになっています。
体験型イベントもたくさん用意されていて、いいですね!
私たちは「ちょうど狩り」と、「フルーツピザ作り体験」を楽しみました。
おいしかった、しかし、暑かった~。

さて、
昨日 御紹介した記事に、もう一つポイントがあります。
と言いますか、タイトルからして、どうみても2つの内容の記事ですよね。

ひとりで死ぬということと「お迎え現象」
緩和ケア医・おひとりさま応援医 奥野滋子
Yomiuri Online 2016年09月17日
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160915-OYT8T50018.html?page_no=1

しかし、たとえ家族が一緒にいてくれる場合でも、24時間体制で付き添ってくれていた妻がトイレに行っている間に夫が息を引き取ることもあるし、隣で寝ていた夫が朝になったら冷たくなっていたということも(以下、略)
誰かと一緒に死ぬということは不可能であり、最期は一人で旅立つことになると考えておいた方がよさそうである。
***

最期の瞬間には立ち会っておかねばならない、一人にさせてはいけない、
と思っておられる方は多いです。
「最期に間に合わなかった」とか、悔やまれる方も多いのです。
とくに上記記事のような状況になった場合には
「私がちょっと目を離してしまって、その間に・・・」と
後々まで悔やまれる方も なかにはおられます。

しかし、
はたして 最期に立ち会う必要、見届ける必要はあるのでしょうか?
それは全員に可能なことなのでしょうか?

一人暮らしで、御家族が別居されている場合に、
「一人にさせておけないので入院を」
と 御家族が希望されることが けっこうあります。
御本人は「私は最期まで家にいる、ここで死にたい」と
明確に意思表示をされていても、です。
なぜ一人にさせてはいけないのでしょう??
なぜ本人の意思に反してまで入院させねばならないのでしょう??

かりに病院に入院していたとしても
最期の瞬間に誰かがそばにいる、とは限りません。
夜間ですと看護師の巡回も2時間ごと、のところもあると思います。
全員にモニターを装着しているわけではありませんので
「いつ息を引き取られたか、誰も見ていない、正確なところはわからない」
という状況は、
病院であっても施設であっても生じることなのです。

それは家であっても、同じことです。
別な実例として
大勢の御家族が集まっておられて
みんなが昔話をしているうちに
フッと静かになられて
「あれ、いつの間にか息していない」
という状況になった方もおられます。
集まっていた誰一人 最期の瞬間には気がついていない、
そういう 本当に静かな安らかな最期もあるのです。
「最期、こんなにも静かに逝けるものなんですね」、と御家族は語っておられました。

私たちは
全く身寄りのない一人暮らしの方であっても
希望どおり御自宅で最期を看取る経験をたくさん持っております。
御家族がいないから最期が苦しい、誰も立ち会っていないから苦しい、なんていうことはありません。
それよりも
最期は家で、あるいは 最期は病院で、という
「御本人の希望」に沿った対応をしていくことが大切だと思っています。

最期の場に立ち会わねばならない、という「観念」が強ければ
「最期に間に合わなかった」
とか
「ちょっと離れたスキに・・・」

残された御家族がのちのちまでずっと悔やまれる、ということになる可能性があります。
最期の場に立ち会う必要はない、と思えば
本人の意思を尊重しやすくなるでしょうし、
こうして後悔し続ける御家族も減ると思われるのです。

上野千鶴子先生も
朝、ヘルパーさんが訪れると息を引き取っておられました、
で いいじゃないの、と
著書「おひとりさまの最期」に書かれておられます。

平田観光農園にて、フルーツピザ作り体験。
材料一式は用意されています。
これに「ちょうど狩り」でゲットした果物を追加で載せてもよいです。
四角いピザにしてみました。
ピザを釜で焼くのも、自分たちで焼きます。
P1070137.JPG
★新型インフルエンザ情報
とくに新しい情報はありません。

香港でインフルエンザが流行しているようです

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