心にのこる出会い165 若年性認知症だったYさん
カープですが
九里投手に勝ちをつけてあげたかったですね。
横浜が勝ったので CS2位マジックは 1です、いよいよ大詰め。
リーグ最終戦を 勝って終わろう。
今日は大瀬良投手です、応援しましょう!
毎月 最終日曜日は 心にのこる出会いです。
今回は 1週遅れの掲載となり、申し訳ございません。
Yさんは74歳。
60歳になる前に 物忘れがひどくなってきました。
K病院で精密検査をおこない、 若年性アルツハイマー型認知症と診断されたのでした。
薬も処方されたのですが、認知症で 薬の管理は出来ません。
飲まない薬を処方しても仕方ないので 薬なしで 経過観察されておりました。
自宅での生活が困難となり、グループホームに入所されることとなりました。
入所後に 私たちのはじめての出会いです。
Yさんは、つい先年まで 保母さんとして 働いていました。
グループホームでも お絵かきしたり、ホームのピアノ(アップライト)の演奏をしたり。
入所者からも 従業員からも、「先生」と呼ばれておりました。
もちろん私たちも Y先生 と お呼びしておりました。
しかし、若年性認知症の進行は 非常に早いです。
数ヶ月で、昼夜逆転、徘徊、暴言暴力、診察拒否が出てきました。
入所でスタッフが薬剤管理出来ますので、認知症薬の処方を開始としました。
しかし、それでも進行は止められず、
1年後には 毎夜 尿失禁をするようになってきました。
おむつ着用です。
若年性認知症の進行は 早いねえ、と言っていたところ、
そこから先の進行は ゆっくりになってきました。
6年目には 食事や水分の飲み込みが悪くなってきました。
御家族と相談しましたが、胃瘻や延命治療は希望しない。
ここで出来る範囲の対応で 最期まで。
Yさんは 寝たきりとなり、食事もペースト食となったのですが
職員さんが とても上手に食べさせてくれます。
食欲は良好でした。
診察の時に 聴診器を胸に近づけようとすると、
Yさんは 食事のスプーンかと思うらしく、 口をあーんと開けて 食事のさいそくをするのでした。
Yさんの食べる力、すごいですね。と 感心したものです。
結局、入所されて10年。
Yさんは グループホームで静かに永眠されました。
Yさん、あっという間にピアノがひけなくなって、残念でしたね。
もっと演奏を聴きたかったですよ。
【解説】
アルツハイマー型認知症は、診断されてからの寿命は10年、と 言われています。
そのほかの型の認知症は もっと短いことが多いです。
とくに若年性認知症は 進行が非常に早い、とも言われています。
Yさんの場合には、最初の1年くらいの進行は とても早いものでした。
出来ていたことが みるみる出来なくなっていくのです。
介護スタッフの とまどいは 相当なものです。
結局さいごまで 誤嚥性肺炎をおこすことなく、入院することもなく、新型コロナに感染することもなく、
グループホームで10年 すごされました。
嚥下が難しくなってからの スタッフさんの対応が とても合っていたのだろうと思います。
【業務連絡】医師募集。内科・外科・総合診療科・緩和ケア科に限りません。
新型コロナ対応をきっかけに
「医療の在り方」、「医療の目指すべきもの」について
考えを深めた方・考えを改めた方も多いと思います。
もし
「今は東京や大阪(等)で働いているが、地元広島に帰って働きたい」
とか
「病院勤務医よりも もっと患者に寄り添いたい」
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「これだけ命を張って働いているのに、むくわれないというのは、病院というのはおかしいのではないか」
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「給料よりも 生きがい・働きがい」を求めている方、よろしくお願いいたします。
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広島はコンパクトな街で、衣食住、そして働くにも子育てにも いい所だと太鼓判押せますよ。
当ブログを御覧になり、院長の理念に賛同された方、どうぞ御連絡よろしくお願い申し上げます。
在宅診療は楽しいですし、在宅緩和ケアは やりがいありますよ!